0と1
私は、ある日「なぜ自分って存在してるんだろ」存在ってなに?
みたいなことを思いついてから長い間しっくりくる答えが見つからず悩んでいたことがありました。
先ず、このことを思いついたのは0と1の概念について考えてみたときだった。
0を存在しないとするなら。
1は存在する。
これってすごく大きな違いですよね。
0は全ての始まりとよく言われるが、これは間違っていると思う。
0を生み出すには同じ大きさの数どうしが互いに消しあって中和して初めて0が生まれる。
だから、始まりを0だとすると
この世には未だに何も存在してないんじゃねって思った。何故なら0にどんな大きな数字を×しても0だからである。
数式であらわすと。
0×無量大数=0
0×1=0
1-1=0 (これで初めて0が誕生する。)
↑
右辺(原因)=左辺(結果)
なんかこれ思いついた時、ビッグバンの誕生を連想したんだよね。
なんか、似てません?
ビッグバンは宇宙の始まりと言われている=宇宙の始まりを0とする。
ビッグバンが誕生したのはその前に何かが起こった。その結果ビッグバンは誕生した。
つまり、ビッグバンは宇宙の始まりだけど、何か起きた結果なんだよね。
なんでビッグバンが起きたの→その前に何かあったから
じゃあなんで何かあったの→何かがあった前に何かあったから
じゃなんで→…
という無限の終わりのない問答をくりかえすことになる。
凄いことを思いついたと思ったけど
既に、約100年前にアンリ・ベルクソンって人が創造的進化って本の中でこのことを著していたみたい。
まあだいたい俺が思いつくことなんて、誰でも思いつくわ。
留学から帰ったらこの人の本読もうって、思ってます。
実は、もっと昔からこの存在と無という概念について有名な○○があるということを知った。
それはね 般若心経(真言宗)
なんみゃーはーらーみーたーりー
とか昔から聞いてたのに今頃になって意識し出すなんて。
この、般若心経について関心を持つきっかけになったのが、とある質問サイトで祖母の法要についての質問をした際に、回答者さんが ご自分の宗派のお経の現代語訳を読んでみたら?
と、助言を頂いた。うちは真言宗だから般若心経の現代語訳を読んでみたらとても、良いことが書かれていて感動しました。
この般若心経こそ自分が悩んでいた 「ものは何故何もないのではなく
なにかがあるのか」
という問いと、0と1の概念について教えてくれた。
まだ序盤の少ししか読んでないので全部覚えてないですけど。
の色即是空 空即是色
が存在と無についての根本的な教理を説いた有名な四字熟語
中学生の時、漢字テストにも出ました。
その時は意味を知りませんでした。
興味持ってる方は色即是空とググってみてください。
-まとめ-
仏教発祥の地インド
0という概念を思いついたのもインド人
実は仏教と数学って密接な関わりがあるのかもしれない。
般若心経についても、難しそうだけど頑張って読み進めてみようと思います。
読んでくださってありがとうございました。