異国への旅 viajar e a melhor forma de se perder e se encontrar ao mesmo tempo.
題名の伯文は
旅は一度に我を失い、そして再度発見するために一番良い方法である。
と訳すことが出来る。
僕は、ブラジルに留学したのはつまらない学校生活から離脱したかったからというのも一つの理由であった。
精神的に長い旅だったことは間違いない。たくさん大変な経験をして内面的に成長出来たことは以前の記事て書いた通りだ。
慣れ親しんだ生活から身を遠ざけることで自分とは日本とは日本人とは などを離れた場所で見つめ直すきっかけとなり、アイデンティティが確立する。
という人はかなり多いらしい。柳田國男もその1人である。
でも、あまりにも長い期間旅に多くの時間を費やすと自分の国に戻ってきた時にリエントリーショックが大きすぎて異邦人のようになる危険もある。
実際留学して来た人と帰国後会って話をしていると、ホストファミリーとうまく馴染めた人ほどリエントリーショックが大きく、現地に適応できなかった人ほどリエントリーショックが少ないといった傾向が見られた。
追記
今夏にロシアに行くかもしれないので、帰ってきたらまた記事を書くつもりなのでお楽しみに。
現代文試験に出てきた文章 〜古き美しき日本を守るには〜
現代文の試験をしているとよく興味深い文章に出くわすことがありますよね。
今日紹介するのは、谷崎潤一郎・著 「旅のいろいろ」という文章です。
筆者は、とあるドイツ人と出会い、日本で一番西洋かぶれしていない地方は北陸地方であるという意見を聞いたそうです。そのドイツ人も筆者も、その土地が世間に知れることで外人向けに様々な宣伝や設備を整える結果、西洋かぶれが進みその地域の特色や、風俗習慣建築等の古い日本の美しい風景が失われてしまうことを恐れているという文章が出ました。
日本が観光方面で潤う一方で、いろんな弊害が生じていることも事実であって これがなくなってしまっては日本は観光という方面で何の面白みもない国になってしまい、これを危惧することがとても重要なのだということを気付かされた日でありました。
目先の利益にとらわれて後々大きな被害が出てから後悔するということは歴史から学んでいるはずなのに本当に被害が出てからでないと気づかないのはいつの時代になっても同じなのかなと思った日でした。
」
水と食べ物のかんけー
酒を作るのに水が命
という話を聞いたことがあるだろうか
私は以前、君の名はという映画を鑑賞してひどく感心させられ何度も映画館に足を運んだことがあった。
この作品の作中には、様々な要素が含まれていることが非常に面白いなぁと思う。
宮水神社には古くから口噛み酒という酒が先祖代々受け継がれてきた。という設定がある
この宮水という苗字は、おそらく兵庫県の酒処で名高い西宮一帯の水 宮水からとったものなのではないかと思う。
ここ灘五郷と伊丹の地は、古くから酒蔵が立ち並び日本で初めて清酒を生み出した土地としても有名である。ここ西宮地区には宮水と呼ばれる日本では珍しい硬水が地下水脈を流れている。日本には軟水が多いが、硬水軟水の違いは水に含まれるミネラルやその他の元素によって明確にわけられる。ミネラル分が多い硬水は酒を熟成する過程で旨みを育むことからこの地域一帯は太古の昔から宮水のおかげで酒処として栄えたというわけだ。詳しくは、読売新聞から出ている宮水物語 灘五郷の歴史 という本に著されているので是非読んでみてほしい。
さてこの水が味を左右する話というのは酒だけに留まらずあらゆる食べ物において共通して言えることだと思う。私は味噌汁において顕著に現れるという事を声高に主張したいと思いこの記事を書くに至った。
過去の記事でも述べたように、私はブラジルに住んでいたことがあってそこでも味噌汁を作ったわけだ。だが全く美味しくない。作り方も手順も何もかも、日本でいた時と同じように作っている筈なのに全く出汁がきいていないし兎にも角にも美味しくないのである。
結論から先に述べると、味噌汁は日本の水にで作るのが1番うまい。とくに井戸水や湧き水で作るのがよいと思っている。
私の祖母の家は井戸水を引いている。祖母がその家で作る味噌汁はいつも味が変わらないのだ。何時もおいしい。
東京の水道水は塩素消毒されてるからなのかは定かではないが、祖母の家で作る味噌汁には味が劣ると感じることが多々あった。
みなさんがいつもと違う水で料理を作る機会があれば是非味比べをしてみて欲しい。
うちの愛犬
私の家族は母と妹 そして、ラッキーである。
ラッキーとは我が家の愛犬ことロングコートチワワの名である。
小柄で賢く愛嬌のある白に茶斑点の毛色をしている。
妹がラッキーと名付けた。
当時私は、ポチという名前をおしていたのだが、母と妹に断固拒否された。
茶色い斑点があるのでポチ
という名前は案外気に入っていたのだけれど…
この犬の性格はというと
意思伝達することが非常に上手だ
例えば、飲み水がなくなったときや、散歩に行きたい時、遊びたい時、構ってほしい時、などその時の感情表現がとても上手な犬であり、とても愛嬌がある。
そして、犬のくせに猫のような振る舞いをする少し変わった犬でもある。そこもまた可愛らしいのだが。
普段は、母か私と寝ることが多い。
妹とも寝るのだが、しつこくちょっかいを出す妹とは長く寝たがらない。
うちの愛犬が猫の生まれ変わりであるなと感じる季節がある。それは冬だ。
冬の朝は、誰よりも遅く迄布団の中で眠り続け、昼前になってやっと階段を降りる小さな足音が聞こえてきて、ああやっと起きたのだなと思いきやリビングに入ってくるなりこたつに頭から突っ込み夕刻の黄昏時までこたつの中で丸くなっているという生活をおくっているからである。
我が家では冬になるとこたつが活躍するが、その恩恵を全身で以って有り難みを感じているのは我が家の愛犬ラッキー様なのである。
ラッキーには、とてつもなくたくさんのあだ名がつけられてきた。
我が家にラッキーを迎えてからゆうに20は超えてると思う。考案者は妹だ。全て覚えているわけではないが、現在よく使われているのは、ラーくんとチュンチュンの二つである。ラーくんはまだしもチュンチュンというあだ名には、我が家に初めて訪れた人は皆、考えてもはてなの文字しか思い浮かばないと思う。当本人のラッキーはというと、ラーくんでもチュンチュンでもその他に妹が名付けたあだ名でもしっかり認識している。そして、そのあだ名で呼ぶと家中どこにいても駆けつけてくる。
チュンチュンというあだ名の由来は、ラーくん→ラーチュン→チュンチュンという進化を経て現在に至る。歴史のあるあだ名である。これも妹が全て考案した。
だがしかし、やがてこのあだ名も月日とともに色褪せ、また新たなあだ名が妹によって考案され名付けられるのである。
恋愛系を読み終わった後に襲ってくる虚しさ
僕が、恋愛小説や漫画を読むようになったのはやはり高校に入ってからだったように思う。
君の名はとか、ニセコイとかから始まり
最近は少女漫画なんか読んでて凄く面白いんだけど読み終わった後の虚しさがぱねぇっす。
なんか、物語の中の人物はすごく青春してるのに
いざ読み終わって
本を閉じた瞬間
アニメが終わった瞬間
ふと現実に帰る
元の次元に戻る
自分はというと
何もない
というのが虚しい
今の時期できても大学進学に障ることになるとは思うし、月に会える時間もなさそうだから困る
大学に入ってからはどうなるかわからないけど、多分法学部いくし
そこで国家公務員試験受かるために多分勉強漬けの日々を送ることになるであろうビジョンがみえる。
孤独死はやだよー